大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和36年(ネ)59号 判決

控訴人(被告) 深浦町長

被控訴人(原告) 岩谷徳蔵

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

控訴代理人は、控訴町長吉田清は就任後間もなく被控訴人に大戸瀬支所長をやめて貰おうと考え、昭和三四年九月五日同人を呼び出し、同日午後二時過ころ辞職を勧告したところ被控訴人はこれを応諾し辞職願を提出したので同町長は即座に右願を聞き届け、被控訴人に対し直ぐ免職辞令書を交付するからしばらく別室で待機するよう申し渡し、被控訴人はこれを諒承して一時別室に退出したのであるが、右のように被控訴人から辞表の提出があり、任命権者である控訴町長がその場でこれを承認する意思表示を明確にした以上辞令書の交付をまつまでもなく免職の効力を生じたものと解して妨げない。

仮に辞令書の交付が必要であるとしても、被控訴人は辞令書作成の間待機することを承諾しながら、控訴町長が同日午後三時ころ辞令を交付しようとしたところ被控訴人は約に反し、役場内から姿を消していたために予定の時刻に現実にこれを交付し得なかつたのであるから、同町長が辞令書を交付すべき場所として被控訴人と約束した町長室で、その後相当時間内に辞令を交付し得べき準備を完了した右午後三時ころ辞令の交付と同一の効力を生じたものというべく仮にそうでないとしても右辞令書を書留郵便に付した同日夕刻には免職の効力を生じたものと解しても少しも被控訴人に酷ではない。

仮に以上の主張が理由がないとしても被控訴人の辞職願撤回の意思表示が控訴町長に到達したと認めるべき時点は昭和三四年九月七日午後五時ころである。すなわち被控訴人は同月六日日曜日の朝八時ころたまたま公用で深浦町役場に出勤途上の京谷啓吾に対し総務課長あての一通の封書の携行を託したのであるが、当日は同課長不在のため京谷がそのまま保管し、翌七日は同課長が大戸瀬支所出張のため夕刻五時ころ帰庁したので、そのころになつてはじめて右封書をひ見し、辞表の撤回であることを了知し得べき状態が到来したものであるのに対し、控訴町長の発した免職辞令の書留郵便はそれ以前に到達ないしは到達したと同視し得る関係が成立したのであるから右撤回はすでに免職の効果を生じた後になされたものといわなければならない。

以上のとおり述べ…(証拠省略)…たほかは当事者双方の主張、証拠関係はすべて原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

理由

(一)  被控訴人は昭和三一年三月一日深浦町主事に任ぜられ、同日同町大戸瀬支所長に補せられたこと、昭和三四年八月二八日吉田清が同町町長に当選就任したこと、被控訴人は同年九月五日右町長に対し辞職願を提出し、控訴町長は同日付で願による免職の発令をしたことは当事者間に争いがない。

(二)  被控訴人は右辞職願に故意に押印を留保し、もつて確定的な辞意の表明としてとりあげられることを回避したのであるから、このような辞職願に基づく控訴町長の免職処分は無効である旨主張するので案ずるに成立に争いのない乙第一号証、第五号証の二、第八、九号証、第一〇号証の一、二、甲第一六号証の一、二(後記措信しない部分を除く)に原審での控訴本人尋問の結果を総合すれば被控訴人はもと西津軽郡大戸瀬村村議会議員、同議長などを歴任し、かつては控訴町長吉田清と同村々長の地位をかけて争つたこともあり、昭和三〇年八月大戸瀬村が深浦町に合併後の初代町長に当選就任した工藤和一郎にその力量を見込まれ一部反対派町議会議員の反対を押し切つて昭和三一年三月一日冒頭認定の支所長の地位に就いたこと、昭和三四年八月町長改選により工藤前町長が失脚し、現吉田町長が当選してその地位に就くや、被控訴人に辞職を勧告して、その職を免じようとはかり、万一被控訴人が右勧告に応じないときは被控訴人が現職に採用されるにあたり提出した履歴書に、同人が昭和二三年八月四日物価統制令違反により罰金一万円に、昭和三〇年一二月九日暴行罪により罰金一、〇〇〇円に各処せられた事実を記載しなかつた点をとらえ、経歴詐称を理由に懲戒免職の強行手段にもうつたえる心組のもとに昭和三四年九月五日被控訴人の出頭を求め、同日午後二時過ころ深浦町役場町長室において被控訴人に対し

被控訴人が

(1)  工藤前町長の片腕として活躍したこと

(2)  かつて深浦町と大戸瀬村の合併に反対したこと

(3)  かつて吉田町長とは大戸瀬村長選挙で争つた間柄であること

を挙げて円満に退職することを勧めたところ、被控訴人が突然のことなので両三日の考慮期間を求めるや、即答しなければ強制解職の手段もあることをほのめかし、任意退職の途を選ぶことが賢明であるとしてなおも迫つたので、被控訴人は吉田町長の差し出した用紙に不承不承のうちに同町長の口授するままに「辞職願」「今般都合により辞職いたしますから願ひます」と書いて署名し、次いで同町長から名下に押印するよう求められたが、なお右退職勧告には納得しかねるものがあつたので印形を持参しない旨とん辞をもうけて押印を拒み、そのまま同町長に提出したものであることが認められるから被控訴人が控訴町長の説得に完全に承服し得ないものがあつたにもせよ、手ずから辞職願をしたためこれを提出する心意にまで到達してこれを実行した以上被控訴人主張のように内心では全く辞職を申しでるつもりがなかつたものとは認めがたく、この認定に反する甲一六号証の供述記載の一部、当審での被控訴本人尋問の結果は措信しない。(なお辞職願は要式行為ではないし、いわんやこれを書面にしたためた場合でも、必ずしも署名のほか押印がなければその効力がないものと解さなければならない筋合のものでもない)被控訴人の右主張は理由がない。

(三)  次に被控訴人は右辞職願は控訴町長の強迫に基づくものであるから無効であると主張するが、控訴町長が被控訴人主張のように強迫を用いたものといえるかどうかはしばらくおき、私人の公法行為にあたり抗拒しがたい強制が加えられた場合は別として、単なる強迫によりかしのある行為をした場合その行為を当然無効と解すべき理由はなく本件全証拠によつても右のような強制が用いられたと認めるべき証左はないから、被控訴人のこの点の主張も理由がない。

(四)  控訴人は被控訴人から、前記のように辞職願の提出があり、これに対し控訴町長は即座に辞職を承認したのであるから免職辞令書の交付をまつまでもなく免職の効果を生じた旨主張するけれども公務員の免職はその旨の辞令書の交付によつてはじめてその効力を生ずるものと解すべきであるから右控訴人の主張は採用できない。

(五)  よつて更に被控訴人の辞職願の撤回の主張について判断する。

およそ公務員の辞職願はそのことが信義に反するものと認められる特段の事情のある場合は別として、免職辞令書の交付があるまでは任意に撤回して妨げないものと解すべきところ、甲第一六号証の一、二、乙第五号証の二、成立に争いのない乙第四号証の一、二、第一一、一二号証の各一、二、第一三号証に原審証人八木橋由雄の証言を総合すると被控訴人は控訴町長の辞職の勧告に一まつの疑念をいだきながらも辞職願を提出して即日大戸瀬支所に帰任し、直ちに地方公務員法を調べてみたが町長の示した事由はなんら同法上の免職事由となり得ないことを知るにおよんで、とり急ぎ前記辞職願を取り消す旨の控訴町長あての書面を作成し、これを本庁あて文書送付の慣例にしたがい、本庁総務課長あての封書とし、翌六日日曜日の朝七時半ころの列車で事務整理のため休日出勤途上の同課長補佐京谷啓吾に携行を託し、即日午前中に深浦町役場に到達せしめて送付したこと、(通常本庁および支所間の往復文書はこのようにして支所付近から本庁に列車通勤している者に持参せしめるのを例としていた)これより先き控訴町長は昭和三四年九月五日被控訴人から辞職願を徴するや直ちに係の者に命じて被控訴人を願により免職する旨の辞令書を作成せしめ、即時これを交付しようとしたがすでに被控訴人が退出した後であつたので取り急ぎ書留郵便に付して送付したが、右郵便は同月七日午後四時三〇分ころにいたり漸く被控訴人のもとに配達されようとしたが被控訴人は免職辞令書であることを予知しその受領を拒絶したこと、以上のように認めることができるから、被控訴人に対する辞令書の交付があつたものと同視し得べき時点は右七日の午後四時三〇分以前ではあり得ないところ、その前日に被控訴人から控訴町長あての辞意撤回の意思表示が同町長の支配内である深浦町役場に到達し、控訴町長が即日もしくは少なくとも翌七日朝にはこれを了知し得べき状態にあつたものというべきであるから、現実にこれを知つたと否とを問わず辞意撤回の効力を生じたものといわなければならない。

控訴人は被控訴人が前記辞職願を提出した後控訴町長から辞令書を作成する間しばらく別室で待機するよう求められ、これを承諾しながらそのまゝ立ち去り故意に辞令書の受領を回避したのであるからそのことがなければ辞令書を交付し得たはずの同日午後三時ころにこれを交付したと同一の効果を認めるべきである旨主張するので案ずるに、当審証人京谷啓吾の証言および当審での控訴本人尋問の結果によると控訴町長は被控訴人から辞職願を受領すると直ぐ同人に対し辞令書を作成する間別室で待つように申し渡し、被控訴人は町長室から退室し、そのまゝ前記支所に帰つてしまつたものであることが認められ、当審での被控訴本人の供述中右認定に反する部分は措信しない。

しかし前記のように被控訴人は思いももうけない退職という重大な事柄を、なんらの考慮期間もおかずに即答をもつて迫られ、しかも控訴町長の挙げる辞職勧告の理由をもつては町長のほのめかしたごとく強制免職までも可能であることには多分の疑念をいだきながらも根拠ありげに辞職を求める町長の勧告に一応屈せざるを得なかつたにしても、印形を所持しながら押印もしない異例ともいうべき辞職願を町長の口授するまゝに書いたむしろ反抗的ともとれる被控訴人の態度に徴し、その場のふんいきは決して当審で控訴本人が供述するごときおだやかなものばかりではなく、前記のような被控訴人と吉田町長との旧来の村・町政での対立的立場も併わせ考えるならば、その間けだしきん迫したものの存したことは当審での被控訴本人の「お互に興奮して別れた」旨の供述からもいうに推認するに足りるから前記のように控訴町長が被控訴人に対し別室で待機するよう申し渡したからとて、被控訴人がそれを承諾したものと断ずべきではなく、被控訴人が前記のように町長室を出てそのまま町役場から立ち去つた事実はなによりも控訴町長の右申出を無言のうちに拒否した事実を裏書するものともいえるのである。

それゆえ同日中に町役場で辞令書が交付があつたと同視すべきであるとの控訴人の主張は採用できないし、右辞令書を前記のように書留郵便に付したときに免職の効力を生じたものとすべきであるとの所論もその根拠がないから採用できない。

控訴人はまた控訴町長は被控訴人から辞職願があつたので早速後任者を発令してしまつたのでその後の被控訴人の辞職願の撤回はいたずらに行政秩序をみだり信義にもとるものとして無効であると主張する。なるほど成立に争いのない乙第三号証によると控訴町長はとりあえず昭和三四年九月六日付で深浦町主事桜庭良一に大戸瀬支所長事務取扱を命ずる旨発令しているが、原審での控訴本人尋問の結果によると本格的に後任者を任命したのは被控訴人の辞意撤回後にしてかつ本件訴訟係属後のことに属することが認められるばかりでなく、そもそも前記のように控訴町長は辞令書受領のため別室で待機しているものと信じていた被控訴人が一言のことわりもなく姿を消したのであるから、そのとき直ちに自分の退職勧告に無理がなかつたか、被控訴人が辞意をひるがえしたのではないかを疑うことこそ当然と考えられるから慎重に事を運べば足り、何も性急に被控訴人の免職、後任の発令の必要がなかつたとさえ考えられるし、そのうえ甲第一六号証の一、二および乙第一三号証(後記措信しない部分を除く)によれば深浦町総務課長は昭和三四年九月六日朝京谷同課長補佐が携行した被控訴人の辞意撤回の封書をひ見したことがうかがわれ、この認定に反する乙第一三号証中宮本章の供述の記載、乙一一号証の二の供述記載、当審証人京谷啓吾の証言はいずれも右認定に供した証拠と対比し措信できないから、同課長はこれを控訴町長に伝え、もつて前記支所事務取扱者を発令することを見合わせることも可能であつたものと認められ、以上の事実と被控訴人をして辞職願の提出を余儀なくせしめた前記の経過を思い合わせるとき、被控訴人の右辞意の撤回を信義に反するとして非難する控訴人の主張は当たらないものといわなければならない。

(六)  以上のとおり被控訴人の辞職願の撤回は有効であるから、その撤回の効力を生じた後に、辞職願の存在を前提としてされた控訴町長の本件免職の辞令書が被控訴人に到達したと同視し得べき事実が生じても、その時にはすでに右免職は被控訴人の意に反することは明らかであるから、地方公務員法所定の事由がないことが明白であるのに職員を免職処分に付した重大なかしにより右処分は無効というべきである。それゆえ、被控訴人の無効確認の請求を認容した原判決は相当であつて本件控訴は理由がなく民事訴訟法第三八四条によりこれを棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 飯沢源助 佐藤幸太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例